魂の旅路

マザーアースと大陸移動説


今十代の頃に接したカルチャーに戻ることが多いのですが、人生の半分近く、一周回って原点に戻り始めているのかなと思うと同時に、平成が終わるタイミングで、昭和や平成初期の文化が、自分の中で歴史になりつつあるのかなと思います。手塚治虫は平成元年に亡くなっているんですね。

年号が変わる時は有名人がバタバタ亡くなるもので、時代を彩ったスターたちは、本当に星から来たスターなんだなと思います。時代というのは一つの箱舟のようなもので、一緒に100年程度の時の航海を乗り合わせる同乗者。時代を牽引したスターや天才たちは、私たちの文化や文明を切り開く、その船の行く先を司る船長のような人々なのかなと思います。時代が50年ずれれば出会うことも知ることもなかった人たちに私たちは出会っているわけで、同世代、同時代に生きているということ、転生しているということは、それだけでとても大きな奇跡であり、縁だと思うのです。




モンドクォーツ、タンザニア・マスタークリスタルは、現在も活発に動いているアフリカの大地溝帯、東リフトバレーから産出されるもので、現在進行形で激しく動いている断層帯の鉱物、水晶は、特別な意味があると思います。

大陸は分断され現在の世界地図のようになっていますが、大陸の活動によって、遠い未来にまた一つになると言われています(アメイジア大陸)。モンドクォーツは、狭義ではアフリカ分裂を引き起こす活断層上の鉱物ですが、広義ではやがて世界を一つにするべく活発に動いているエネルギーとも言えます。ユーラシアの内奥にあり、ロシレムやヒマラヤ水晶のような冷えて固まった大陸の石と違って、フレッシュでどこか明るく活発なエネルギー質なのは、活動的な土地から生まれたのもあるかもしれません。


大陸移動説は、南北のアメリカ大陸ととアフリカ大陸の海岸線がパズルのピースのように合わさることから始まったのですが、この二つの大陸は形もよく似ています。そしてレムリアンシードのブラジルとモンドクォーツのタンザニアは、共に両大陸の東南に位置しています。


モンドクォーツがレムリアンシードのような明るさを持つのは、共に暑い地域の石だからというのもありますが、メタフィジ的にシンクロする部分があって、ロシレムに「レムリアン」という名前が付いたのも、ヒマラヤ水晶も「ヒマラヤ産レムリアン」として流通されることがあるのも、これらのマスタークリスタルが、「レムリアの意識」という一連の繋がりがあるせいなのかなと思います。タンザニアのモンドクォーツも、もしかしたらレムリアン・グループに入れられるかもしれません。


ただ石の特性として、モンドクォーツはロシレムやヒマラヤ水晶との関連性を感じますが、ブラジルのレムリアンシードとはまったく別種の気がします。産地のメタフィジ的なシンクロはありますが、ミレニアムの始まりと共に登場したレムリアンシードよりも、タンザニアのモンドクォーツは、もっと何か新しい役割を持っているのではないかと思います。


ちなみに、モンドクォーツと書いてますが、石の存在感の大きさは、固有の地名を軽く超えます。
タンザニア・マスタークリスタルの方が相応しいかもしれません。




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アメジスト・アイスクリスタルは、ブラジルのセアラ州が産地。ここはブラジルの北の大西洋沿岸にあり、アフリカと照らし合わせてみると、ちょうどアファール盆地に位置します。大陸が分裂するほどの活動拠点とシンクロする場所からアメジスト・アイスクリスタルはやって来ました。アメジスト・アイスクリスタルの山のようなビジョンから、アフリカの大地溝帯に辿り着いたことを考えると、このシンクロは偶然ではないと思います。



考えてみたら、モンドクォーツのお導きと思っていたものが、すべてアメジスト・アイスクリスタルだった可能性もあります。6月に一緒に入って来たもので、別々の流れかと思ったら、一つの大きな流れで合流した。


アメジスト・アイスクリスタルはマザーアースなので、地球上のすべての大陸を連携させる、その意識やお導きを司っていても不思議ではないなあと。少なくともアフリカの大地溝帯のヒントを与えてくれたのは、ブラジルのアメジスト・アイスクリスタルなのですから。



産地はブラジルですが、アメジスト・アイスクリスタルのイメージは南極大陸です。ナチス終焉の地とも言われ、地球の鍵を握る場所とも言われる南極。地球の磁極でもある南極は、もしかしたら大陸のくっついたり離れたりを司っている何らかの指示系統があるのかもしれません。






ちなみに書き忘れたことなんですが、高校の時にランボーを読んでいた話で、リンク先のランボーはなぜ放浪をやめたのか?に、カートをヨーロッパに最初に報告した人は探検家リチャード・バートンとあります。


このリチャード・バートンという方は、『千一夜物語』をヨーロッパに紹介した翻訳者でもあるらしいのですが、私は『千一夜物語』も高三の時、受験勉強もしないで読んでたんですよね。学校の休み時間に自分の席で読んでたのを覚えてます。


当時いろんな本を読んでいて、その中で『千一夜物語』についての話がよく出て来るので、これは読まないとと読んでみたんですが、あまり面白くなくて最後まで読み切れませんでした。小説みたいに起承転結がはっきりとしなくて、民話のようでした。

小説や文学というのは、近現代の発明なんだなあとつくづく思います。読者を意識した構造やスキーム、プロットがあって、楽しませたり、感動させたりするのは、装置として、意外と構造的で科学的なんですね。それがないと、そんなに面白くないんですよね。。。


当時読んでた本の中で、読んでた時の光景まで覚えているのはあんまりないです。なのにランボーと『千一夜物語』は鮮明に当時の光景を覚えていて、しかも面白いと思えなかった本を鮮明に覚えているのは、とても不思議です。そしてそれが共に学校や教室だったということが(家で読んでることが多かったので)。


多分当時19世紀末の本を結構読んでいたから、『千一夜物語』のことを知ったんだろうと思います。カートを食べたい!なんて思ったのは、きっと過去生でアフリカでカートを食べてた時代があったんでしょうね・・・(笑)








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Stone marble

Mythtician, Astrologer & Naturalist reading and sending crystal messages metaphysically from earth, on who we are, where we came from and where we are going.

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