自分のショップを見ると、何だか雑貨屋みたいだなと思うことが多くて、もう少しスタイリッシュにならないかといつも思うのですが、お客様からとても生き生きとしてると言われることが多くて、こんなもんかなと思ったり。
私も石の販売を始めた頃は、力のある石、パワーのある石がいいのかなあなんて思ったりしました。お客さんがどうせ買うならパワーストーン的な効果や効力のある石を求めるのは当然だと思います。
でもしばらくして、自分的にはわりとすぐに、そういう見方はしなくなりました。
美術品や薬のように例えるのもそのためです。
多分Stone marbleが雑貨店のように見えるのも、きっとそのためなんだろうなと思います。
石に力があるのは当たり前なのですが、Stone marbleの石を購入して、人生が好転したとか何か特別な奇跡が起こったというようなことはあまりないと思います。もしあったとしたら、持ち主の方の本来の持っているものを引き出したというか、作用したりはあるかもしれません。
私は逆に私の石がパワスト的な何か特別な力がある方が厄介だなと思っている部分があって。
天然石を販売する者として、それでいいのかと思うこともありますが。
それが時間をかけてその人の人生の結果として現れるのならよいのですが、よくスピリチュアルなお店で購入したら即効でラッキーなことが起きたりとかはむしろ警戒してしまいます。
私は何か意味がありそうな石、地球や宇宙からのメッセージのような石をセレクトしますが、その石によって何かが変わったり何かが生まれるのは、お客様の仕事だと思います。何か特別な力を期待して石を探したり購入するのは、もうそれ自体がリスクというか。壺を買うのと同じですよね。
それに棚ボタ的なこと、宝くじ的な幸運は、むしろ人生のパターンを理解したり、健やかに成長して行くことを阻害する気がするのです。
長い目で見たら、得る物より失っている方が大きいかもしれません。
最近バブル時代のカルチャーを調べているのですが、もしバブルがなかったら、日本の経済は今頃順調に成長して行ったのかなと思います。バブルのような好景気はむしろダメージの方が大きかったと思わざるを得ないです。
しかもそういう成功体験はずっと染みついて残っていたりするので、その後の変化に対応出来なかったり、変われなかったりして、かえって悪化したりするんですよね。
一度パワストの効果を実感したら、ずっとそういう石を追い求め続けるのはあると思います。
もしかしたらある種の天然石は、染みついたパターンを解除する働き、またはパターン自体を生産的なものにする力を持っているかもしれません。
ロシレムにはそのような力を感じます。
遺伝子は、二つの螺旋状の構造を持って成り立っています。それは向かい合って交わっているけれども、一つに成ることはない。二つの螺旋状の構造を持つ遺伝物質が、永遠に並行して、対立して、一つの形を持つ二重らせんを描いているのです。
二重らせん、陰陽のように、螺旋が上へと進むには、対立するもう一つの構造が必要で、私たちの人生も、時代や社会も、様々な対立によって物事や思考に形や名前が与えられ、それに対する反動やカウンターが現れ、転がるように前へ進み変化して行く。
時代や歴史を後から振り返ると、時には傷つけあい対立することで、また異なる文化や社会が出会うことで、ぐるぐると時代が進んで歴史が作られ、文明が生まれて来たのがわかります。
男女が相対して、子供が産まれ、命が続いて行くように、対立は創造への始まりであり、時に源であったりする。
対立が争いである限り、私たちは未熟かもしれません。
でも対立自体は、私たちが自分を、相手の存在を認識し、自分のいる場所を理解するために必要なこと。
人間である限り、遺伝子の構造が持つ螺旋状の二軸、対立は避けられないと思います。
でもそれをネガティブなもの、ポジティブなものにするのは私たち次第...
何かが起こらないと私たちは自分の居場所がわからない。平和が停滞でもあるのは、平和がそれまでの遺産を消費しているだけだからとか。なので、必ずその後には激動の時代がやって来る...
そう考えると、対立を許すこと、相手を許すことは、自分にとっても必要なことになって行くんですね。
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少し前に能登半島が騒がしくて、今は全国各地で地震が増えています。
4月頃のことです。
ホワイトカイラスを出品するために、「ホワイトカイラス」というネーミングが既に市場にあるのかどうかネットでリサーチしていました。自分で思いついたのですが、もしかしてもう使われているとしたらどんな石か被らないよう知っておく必要がありました。
画像検索をしていたら、別のショップの「白山菊理姫」という印刷された文字がパッと目の中に入って来て、その瞬間目を付きさすような白い光が見えました。
そのショップの「白山菊理姫」については前から知っていたのですが、白い光は太陽のことだと思っていました。
でも私が感じた白い光は太陽じゃなく、もっと殺人的なもの。
原子力や核爆発の光のように見えました。
まさかそんなものを崇めはしないだろうと思い、調べてみると星の光も核爆発の光だということを知りました。
白山菊理姫を崇める白山神社の本山は岐阜と石川県の境にあり、カミオカンデがある地域。
ニュートリノを観測する巨大な実験場は、疑似宇宙を構成している場所で、言うなれば原子力発電所のように地上の節理ではないものによるエネルギーが生まれる場所です。
科学の発展のためには仕方ないとはいえ、日本のように地震が多くプレート境界の構造線が東西南北を貫く列島で、山中だとはいえそんな物作らなくてもと思いますよね。
もうちょっと米国みたいな広い大陸の山の中でやってくれと思いますよ。
原子力発電だってそういう国ならまだしも、日本のように列島がガンガン動く国で、国中にわんさかあるんですよ。
白山信仰発祥の北陸エリアは、とくに原子力の発電所や研究所が多いです。
どうも日本人は原子力が好きなのか?二度も原爆を受けたのに国中の海岸に建設し、三度目の被害が起こりました。
こんな国は日本だけですよね。
一説には、日本の原子力発電所は、縄文文化の残る土地のエネルギーが強い場所に多く、日本の島の力の封じ込めとも言われています。まあ、大量の水が必要なので、海岸沿いの便利な立地となると、昔から使いやすい場所に建設されているんだろうなと思いますが、半永久的に残る危険物質なのに、何で用心しないんだろうと思います。
私はそもそも...白山菊理姫というのは、韓国にある白山が御神体の朝鮮半島から渡って来た人たちによる白山信仰が元にあるのは公然の秘密なのに、何で他国の神を崇めるのかと思います。初めて知った時は目を疑いましたよね。
白山菊理姫というのも、表向きとは全然違う意味もある神様です。
表向きは縁結びやシャーマンの始祖のように言われますが、裏を返せば、縁切りの女神であり、死神でもあります。
イザナミとイザナギは、白山菊理姫が出て来た後結ばれてませんから。
また、この世とあの世を繋ぐ、境界に居るのは、言葉を変えれば死神になります。
記紀にほとんど出て来ない謎の多い女神というのは、表裏がある神様だからかもしれません。
まるで自殺行為のように原子力発電所を国中に建設してしまうのも、私たちの国民性にどこか死に対する抵抗が薄いのも、長い歴史や文化において、朝鮮半島との関わりもあるのかなあと思います。
古代には日本海を中心とする文化圏がありました。今は太平洋側が国の中心ですが、大昔は日本海側が交易の中心で、日本という国は日本海を跨いで生まれている部分もあるのです。
神智学だろうとヨガだろうと関係ないのです。
エネルギーをどこに流しているかです。
そしてその方が重要なのです。
カルトの信者のように本人もわかっていないこともあるでしょうね。
能登半島の動きから、奈良の大和西大寺駅で大事件が起きました。
日本の歴史を変える町長的な事件。引き金は韓国の新興宗教。
奈良や大和、寺という駅名。
オウムの事件が95年ですから、10年くらいはカルトの危険性は繰り返し警告されていました。
そのせいでヨガの普及が10年遅れたと言われる程で、元々日本でもヨガは入って来てたのに、カルトのイメージのせいで、米国から逆輸入のような形で広まることになりました。
そしてカルトが国の中枢に入り始めた頃に、労働環境や雇用環境の悪化とスピリチュアルブームが起きたんだと思います。
不思議ですよね。でも両輪のように繋がっている。一緒に走っていると思いませんか?
だって皆が幸せだったら宗教もスピリチュアルも必要とされませんからね。
カルトに食い尽くされていたと知って、あの時代を知っている者としては戦慄します。
国の体を成しているとは言い難いです。
怖いですよね~本当に。
信者は善良な人ばかりなんですよ元は。口をそろえていい人だと言われてた人たち。
でも一旦信仰や洗脳に染まったら、身内を犠牲にしても何とも思わない。
周囲にとっては地獄を作り出す悪魔ですよね。
天使は簡単に悪魔になるんですね。
そして5月頃かな。インスタでよく見かける天然石のショップさん。太陽光の画像の色味が極彩色というか独特で、何だか妖気が立ち昇ってるなあと感じました。元々室内の撮影の色味も妖しい色味だった気がする。
石の説明とかセレクトとかも何となくウチと似たような所があったので、引っかかってたんですね。
その晩あまり夢を見ない私が、珍しく夢を見ました。
お風呂場やトイレ掃除をした時の黒いカビが目の前で巨大化して、ゲッ!となっていたら、その後ろに舌をチョロチョロ出したコブラが現れて、そのカビの塊をムシャムシャ食べ始めたんですよ!
恐怖におののいていると、猫が現れて、ネコパンチでペシッ!と蛇の頭を叩いたら、蛇は消えて目が覚めました。
何だかその様子が漫画みたいで、後から思い出すと笑えて来るのですが(笑)
起きた時は恐怖で震えましたよ。
そんな禍々しい夢なんて滅多に見ないですから。
そして最近髪の毛を切ったのですが、自分で切った髪の束を見て、この夢を思い出しました。
ああ、黒い塊は私の髪の毛でもあったのか...
そういえば、滝のような水場が好きだったり、一つの石の画像を100枚も撮影したり、取り憑かれてるなと思った覚えがありました。昔の映画で「白蛇抄」という有名な映画があるのですが、蛇は滝が好きなんですよね。
私も石に魅入られて夢中に撮影することもありますが、それでもせいぜい50枚程度です。100枚以上がどんだけ異常なのかわかります。
いろんな場所を訪れたりして、付けて帰ってしまうこともあるのかなと思います。
蛇は金運でもあるので、願望で大きくなるということもあるでしょう。
昔細木数子が人身事故を起こしたフジの女子アナにアドバイスしてたりしましたね(その後玉の輿に乗ってましたが)。
私は夢で見てしまったので、それ以来ガードがかかっていますが、やっぱり人を強烈に引き寄せるものがあるなあと思いました。
願望成就系のブレスレットのお店とか、天然石やパワーストーンのショップにはギラギラしたサイトさんもよくありますよね。
私はそういうサイトは気分悪くなるのですぐ閉じちゃいます。
その二つのことがあってからかわかりませんが、全くブログを書けなくなってしまって、それ以前に書こうといろいろ用意していたアイディアも消えてしまい、手に着かなくなってしまいました。随分迷ったのですが、一応アファーメーションのために書いておきます。
蛇は力の象徴、性的な力も表しているので、石を通してその力を感じたら何だかすごくパワーや元気をもらえた気がするかもしれませんね。
また霊感も象徴しますので、特別な石のように思えるかもしれません。
でも私は、その思いの強さのあまり、追い込まれて追い込まれて藁をも縋る思いで魔物と取引してしまったファウストを思い出しました。
ふと、韓国はそういう場所なのかなと思います。
今話題のカルトも、元はと言えば戦後に日本の政治家が引き連れて来たんですよね。
天然石やスピリチュアルの「エネルギー」や「パワー」と言っても、形のない見えない物ですから、いろんな意味があります。
それは力が「生命力」だったり「権力」だったり「経済力」だったりするのと同じで、フィルターを通して違ったり、また最終的には似たようなものだったりするのかもしれません。権力や経済力があれば長生きしやすいですし、力というのは変換可能なので、だからこそ私たちは生きるために力を求めるのかもしれません。
トンガの大噴火の後、在庫がたくさんあるのにロシレムが急に欲しくなりました。
トンガの噴火は海底火山の噴火。陸地よりも深い海のプレートなので、もしかしたらロシレムのように古い時代の地球の活動を思い出すようなことがあったのかもしれません?
インスタにも少し書きましたが、ポリネシア美術が好きで、あの辺りの民芸品や文化がとても懐かしく感じられます。
ポリネシアから日本には大昔にたくさん人が流れて来て、遺伝子にポリネシア系が入っている人も多いです。
とても力持ちな民族...ラグビーや相撲、アメフトやレスリングなどで活躍する選手が多く、体格がよくて強肩。子供の頃から屈強な体つきで、同年代の白人種の子供たちとは大人と子供ほど体つきが違うのだとか。
きっと長い海洋民族としての歴史が彼らのたくましい肉体を作ったのでしょう。
Hei-Tikiという植物の精霊信仰もポリネシアの代表的な民族文化です。
Hei-Tikiは「もののけ姫」の木霊によく似ていて、私たち日本人の感性にポリネシア的な精霊信仰が根付いているのを感じます。
そしてそれは縄文文化にもあると思います。
天照大御神が籠った岩戸の扉を長野までぶん投げた天之手力男神も、ポリネシア系だったのではと思ったりします。
まるでこちらの注文を待っていたかのように、ちょうど業者さんの所にも入荷があって、無事注文完了。
その数時間後に、トンガの噴火の影響のような大きな地震が九州で起こりました。
しばらくして、業者さんから注文したロシレムを一本失くしたと連絡が。
ロシレムが消えた?
そんなはずはない。そんなおかしなことが起こるなんて。
なぜだろうと思っていたら、九州の地震の前にオールドレムリアンを使って「大規模なワーク」をやったととあるスピのサイトにありました。
ああなるほど。
ロシレムはこの呪術によって消えてしまったのだと思いました。
逃げちゃったんでしょうね。
地球の自然な鼓動に対して、人工的に結界を張るワークと言う名の呪術が、オカルトではなくスピリチュアルな名の下に本当に行われているんですね。
多分九州で起きた地震は、本当は関東に来るはずだったかもしれないです。
トンガはフィリピン海プレートの最南端で、その真北に関東がありますから。
フィリピン海プレートは左回りに九州方面に回っています。
「大規模なワーク」で地震がプレートの進行方向の方にそれたら?
大迷惑ですよね九州は。
それからしばらくして明け方にグラっと揺れて。
震源は相模湾でした。
横浜方面の地震でこちらが揺れることはないのですが、異常震域が起きてたみたいです。
その数時間後に、ロシレムは無事到着しました。
ロシレムがこちらの地元に届いた頃に、相模湾で地震が起きたようです。
まるで何かに怒っているかのように。
私に何か教えるかのように。
あれからまた業者さんから連絡があって、一つ梱包に入れ忘れたと。
ロシアの業者さんも相当テンパってたみたいです。
結局二つもロシレムが届かなかったのですが、その代わりにたくさん小さなロシレムが届きました。
在庫たくさんあるのにまたロシレムが増えてしまいました(笑)
そして業者さんが入れ忘れたロシレムを送るついでに、またロシレムをご紹介してくれて。
結局想定を大幅に超えるロシレムが私の所にやって来ることに。
無事全てのロシレムが届いてからこれを書いてます。
ちなみに第二便が届いた時も、グラっと揺れて今度は茨城の方が震源だったのですが、ロシレムの荷物が地元に向かっている、もしくは届いた頃合いになぜか揺れるんですよね...
ヒーリングという名の下に、呪術のようなワークだったり、レイキを使った魂のプログラミングが、この15年近く行われていたんだなあと改めて思いました。
レイキ自体は悪いものではないですが、患者の背後を取ることで、その人の霊体にアクセスしたり侵入することが可能だと思います。背中はその人の様々な霊的なルーツがある場所です。守護霊や背後霊は後ろに居ますよね?
そしてレイキのようなヒーリングで患者の傷を癒した後、神智学や独自の物語をインストールすれば、プログラミング完了です。
中には重症な人もいますので、そのようなレイキも効果的かもしれませんが、レイキはレイキとして、たとえば整体のように独立していれば何の問題ないと思います。でもそれが他の物と一緒に提供されれば、施術者に都合の良いプログラミングの手段になり得ると思うのです。
私がオールドレムリアンに対して不信感が起きた理由もわかりました。
オールドレムリアンは呪術に使われるためにやって来たのでしょう。
販売者を通じて、大量のオールドレムリアンがばら撒かれ、持ち主たちの意識は繋がりました。
一人で大きな地震を祓うなんて無理ですから。
お客さんたちは呪術に、結界張りに利用されたと言ってもいいでしょう。
あるいはそれが望みの人もいるかもしれませんが...
石がかわいそうですよね本当に。
あんな美しい石が呪術に使われるなんて。
でもオールドレムリアンがそのような力を発揮するということは、オールドレムリアンにもそのような性質があったとも言えなくもありません。
私はなぜオールドレムリアンに魅かれないのだろうか、考えてみたのですが、オールドレムリアンはもしかしたら人類の宗教化の始まりを象徴しているのかもしれません。
オールドレムリアンの神々しさというのは、人が宗教というものを持ち始めた、その元祖なのかもしれません。
この場合の宗教は自然崇拝や自然信仰のことではありません。
人が生んだ人工的な宗教のことです。
そして直感したのですが、アトランティス文明が極めて科学的な文明だったのも、レムリアの悲劇の反省があるのではないかと思いました。アトランティス文明は科学を信仰していたような節があるんですね。
それは非科学的なものを崇めて滅んだ過去の体験があったからかもしれません。
レムリアの後期や晩期は血みどろの時代だったのではと想像します。
今の宗教戦争のルーツのようなものですから大そうひどかったと思います。
レムリアの過去生で傷を負った人がたくさんいるでしょう。
犠牲になった人も多いでしょう。
そしてレムリアンシードやオールドレムリアンに強く魅かれたり、懐かしさを感じるのも、私たちの傷のルーツでもあるからかもしれません。
始まりはきっと美しかったはず。
神々しかったでしょう。
レムリアの牧歌的なイメージや天国のようなイメージそのまま。
でも終わりは悲惨だったでしょう。
そしてオールドレムリアンを使ってまた同じ手口というか...
言葉は悪いですが、本質的には同じことではないかと思います。
レムリア時代の傷を癒すという意味では、オールドレムリアンはヒーリングになるのですが、同時にプログラムされる仕組みも可能だと思います。
人が行うヒーリングとプログラミングはセットになっていて限界があるのかもしれません。
リセットしたら何かをインストールしなければいけないですからね。
私はバイーア・レムリアンの方にそういうしがらみのない癒しを感じるのですけどね。
とくにレムリアン・ルーツの方に純粋な、過去だけでなく未来も感じます。
そのバイーアで大きな洪水があって、鉱山に入れないそうです。
オールドレムリアンの登場後、なぜこんなことが起きるのかなあと思います。
地球のエネルギーは生命のエネルギーです。
停滞を許さず、偏りを調整しホメオスタシスを保つためにあらゆる自然現象が繰り返されます。
災害や気候変動など厳しいものもありますが、本来は命を育み種を育てて行くものです。
だからこそ地球には数えきれないほどの生命が誕生し、美しい惑星として生きています。
他のガスだらけの惑星に比べたら、地球がどんなに美しいか、どんなに生命に溢れているか誰でもわかります。
産まれては死に、死んでは生まれる。
その繰り返しのサイクルの中に生命と魂の輝きがある。
そこに人工的な結界を張ればどんなことになるか。
生命は死に停滞は解消されず繁栄も長く続きません。
自然の循環のように経済が循環すれば、日本も30年近く停滞することもなかったでしょう。
きっとこの20年近く、スピリチュアルだったりオカルトだったりで、目先の利益のために、浅はかな知恵で自然のエネルギーの流入を防ぐような愚かなことが繰り返されていたのかもしれません。
そのために日本だけが沈みつつある現状を、自分たちで自分の首を絞めていることをどれだけわかっているのでしょうか?
地球はホメオスタシスを維持するために、自然のエネルギーに反する異常なエネルギーは、異物として何度も地球の力で攻撃されます。駆逐しようとします。
何度も日本列島に災害が起こりそれを崩そうと大きな波がやって来ます。
日本に災害が多いのは、立地条件だけではないかもしれないです。
ほとんどのスピリチュアルな人たちは、精神の向上と魂の目覚め、自由を願って活動しています。
でも極々一部が、スピリチュアルやヒーリングの下に、この世のヒエラルキーを支えるためにヒーリングや魂のプログラミングを行っているのを感じます。
そのために石が使われている。
というか、石を求めるような敏感な人たちが真意に気づかないわけないですよね。
私が知らなかっただけで。
オカルト方面ならわかりますが、スピリチュアルでやるのは裏切りだと思います。
自分の言葉で人を導きながら、裏ではコソコソと工作しているのですから。
天使が悪魔だったとはこのことです。
インドにしてもヨーロッパにしても階級制度がいまだに続く世界です。
インド=ヨーロッパ語族というように、ルーツは同じで、世界のごく一部の民族が、ヒエラルキーを築き人の魂を閉じ込めています。
私にとってはインドもヨーロッパも同じです。
昔からスピリチュアリティを求めてインドに行く人が多いですが、その下で、街中でどれだけ悲惨なことが繰り返されているかあまり言われないんですよね。
私はインドに降りて初めて見た物乞いの少年が、物乞いするために自ら足を折って汚れた地べたを這いずり回っていると聞いて、ああもうダメだとなりました。何の幻想もありません。
当店では石は美術品や書物のように、私たちに知恵や情報を授ける自然物として扱っています。
入荷時には水浄化をし、発送時には濡れ布巾で拭いてから発送しています。
お客様の方でもお受け取り時に水浄化をお勧めします。
お付けしているセージで燻すのもよいでしょう。
それにより、無用な繋がりは一旦キャンセルされるというのもあるのですが、人が触った手の油や汗なども拭きとるためもあります。
今回の記事を公開するのは随分迷いました。
誰にも何もいいことがない気もします。
店のイメージが心配です(^^;
提供する側にしてもそれを受け取る側にしても、それぞれがそれぞれの信じる所、直感に魅かれて導かれているなら、それはその人にとって正しいことなのでしょうから。
それは私も同じです。
ただ、書き記し表明しておくことで、後になって気づくことも多いと思います。
また、本当に何も知らない人にとっては、気づきの機会になるでしょう。
日本のスピリチュアルは世界的に見てもとても高いものなのに、ではなぜ日本だけ発展せずに沈んでいるのか。
私は不思議なのです。
スピリチュアルに傾倒する人は、誰よりも精神性の向上を願って、精神の自由や人生の幸せを願っていると思います。
なのに、そのような人の方が罠にかかるような仕組みがあるとしたら、社会が循環し高エネルギー状態だった日本、それによってスピリチュアリティの高まった日本が真っ先に没落して行く姿と重なっているように見えるのです。
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何だかブログばかり書いてたので、すっかり後回しになってしまいましたが、2021年大注目だったロンドゥ・クォーツ。
パキスタンはギルギット・バルチスタン州のRoundu地区にあるStak nalaという場所から採れるサルファー・イン・クォーツです。
サルファー(硫黄)だけでなく、スモーキークォーツやミルキークォーツ、クローライト、アンフィボールなども入っている成分多めな水晶です。
と業者は言ってましたが、サルファーと言いつつミルキークォーツと言ったり、言葉を濁しているような感じもありまして(笑)
というのも、ヒマラヤは火山帯ではないので、硫黄が出るのは不思議なんですね。
それでいろいろ調べてみたのですが、条件的には全く可能性がないわけではないようです。
ヒマラヤ山脈はアルプス・ヒマラヤ造山帯によって誕生しました。
ヨーロッパのアルプス山脈と、ユーラシアのヒマラヤ山脈は、大きな造山帯として一つに繋がっていて、同じ時代に出来たんですね。

右上の赤丸はロンドゥクォーツの産地、左はイタリアのサルファーの産地のシチリア。
アルプス山脈の南にはイタリアの火山帯があり、サルファーの名産地です。
同じくヒマラヤ山脈の南側にあるパキスタンでかつて火山帯があったとしても条件的にはあり得るのだとか。
大陸を押し上げる山脈の南側は、火山帯が発生する条件が整っているようで、例えばインドネシアを押し上げるオーストラリア大陸によって、インドネシアは活発な活火山帯が形成されています。
アルプス・ヒマラヤ造山帯の活動によってアルプス方面に火山帯が出来たなら、ヒマラヤ方面に出来ててもおかしくないですし、大陸ののめり込みによって褶曲(しゅうきょく)が発生し、火山帯が沈み込んで潜ってしまっているとも考えられます。
褶曲とは地層が湾曲しヒダのように盛り上がることで、ヒマラヤ山脈の西のパキスタンのラダック地方は、大きな歪みによって湾曲した地形が山脈(褶曲)になっています。
なので、かつて火山帯だった古代の地層が山の中にある可能性もあるんですよね。
もやもやしているのはアンフィボールかなと思うのですが、アンフィボールだけではレモンイエローの発色は生まれないかなあと。サルファーによく似た色味だと思います。
ちなみに、パキスタン南部の海岸近くには、活火山があり、硫黄の産地でもあります。
インクルージョンが多いと濁ってしまうのですが、業者さんによると、ロンドゥクォーツのほとんどの石が濁っていたり鉱物に覆われていたりで売り物にならず、その中で一握りの珍しい結晶をした石だけが入荷したそうです。
原産地はラダック地方と呼ばれる間部の険しい山の中。
棒線部がラダックやスカルドゥです。


グーグルアースの3Dで見てみると、ヒマラヤの山奥だと思っていたのが、パキスタン側から入山すると、スカルドゥは麓に近いエリアに見えますね。
楕円はパキスタンの首都イスラマバードです。
何だか懐かしいな...と思うのは、私の初めての海外旅行は大学一年の時のインド・パキスタンだったのです。
友達に誘われて、実はパキスタンに3週間程滞在し、パキスタンの方が長かったんですよね。
イスラマバードにも行く予定だったのが結局行かなかった記憶。
パキスタンはものすっごい乾燥地帯で、都市でも砂嵐が舞ってました。
熱風と乾燥と砂埃で殺伐としているんですね。
生きるのが厳しい土地でした。

左はロンドゥクォーツの原産地のStak。右はスカルドゥ。
スカルドゥの上にはShigarというアクアマリンやトリマリンの名産地があります。

Stakはとスカルドゥは同じ山脈上ににあるのかなと思います。
スカルドゥは大きな谷になっているので、鉱物を掘りやすいんでしょうか。
スモーキークォーツやトルマリンなどパキスタン産の鉱物の名産地。
パキスタン産の鉱物の原産地としてよく聞く名前だと思います。
Stak valley (Stak Nala) Skardu Baltistan

ロンドゥクォーツの原産地のStak渓谷。
こういう所から美しい鉱物が採れるのですね~
ロンドゥクォーツと同じ時期に現地より直接入荷したスカルドゥ産のスモーキークォーツ。
乾燥すると内部の成分がはみ出し、白く覆われてしまいます。


同じ山脈の北と南。
後から産地をチェックして、その近さに驚きました。
スモーキークォーツの質感もよく似ているんですよね。
この辺りは鉱物の宝庫なのですが、面白いのはロンドゥクォーツもこちらのスモーキークォーツのように、表面に白いシリカ(石英)のような成分が滲みだし、水晶を覆っている所です。

ロンドゥクォーツはそこにクローライトまで入ってて、鉱物が水晶を覆いつくそうとしています。
選んで来たのは水晶が見える石ですが、鉱物の浸食が進んで全体が覆われているのもたくさんありました。
Stak nalaとSkarduのスモーキークォーツ。
共に水晶の表面を鉱物が浸食しています。スモーキークォーツの内部から成分がにじみ出し白く覆われて行きます。ロンドゥクォーツはそこにクローライトなどの成分が付着したのかもしれません。
同じ山脈に位置し、産地が近く、同じ作用が見られるこの産地の水晶は、同じ造山活動で生まれたのかなと思います。
テスラやアマゾンの創業者は、十代の頃からテラフォーミングの未来のビジョンを見ていたそうです。
SFのような話を本気で信じて疑わず、実現させることに使命感を持っていて、だからリスクを物ともせず起業した。夢中で仕事し、今では当たり前となっているけれども20年前は誰もが想像しえなかった未来を、彼らだけは描くことが出来たんですね。
そして、そのビジョンはこの20年間世界を大きく変え、私たちの生活も、世の中も劇的に変えて来ました。
私たちはまるでもう彼らの宇宙船に乗っているかのように、乗る準備をしているかのように、彼らのビジョンに従い、大きく変わったコミュニケーションやテクノロジーの生活に慣れ始めて来てる。
テラフォーミングとか、水星に行くとか、そんな話を聞いて、昔読んだネイティブアメリカンの本を思い出しました。
2000年前後に自然派のスピリチュアルブームがあったかどうかわかりませんが、当時ヴィレッジヴァンガードにネイティブアメリカンの本が山積みになってて、若者のバックパッカーがたくさん海外に出て行ってました。
その時読んだ「今日は死ぬのにもって来いの日」という本があって、当時はなぜネイティブアメリカンが死を恐れないでいられるのか、死を歓迎出来る心理がちっともわからなかったのですが、最近何となくその意味がわかるような気がします。
彼らは植民地時代、たとえば郵便局のような行列がたくさん出来るような所で、座って何時間も顔色一つ変えずに待つことが出来ました。悠然として、悠久の時の流れに身を任すことが出来る。
その時間の長さは、地球の時間の長さを知っているからかなと思います。
人間の限られた一生や、社会生活上の時間とは別の、もう一つの時間の観念を身体感覚として持っている。
ロシレムの身体反応から、パンゲア大陸のことを調べているうちに、私もそんな時の流れを一瞬垣間見た気がして、「今日は死ぬのに持って来い」の意味が、何となくわかる気がしたんですね。それは最高のグラウンディングでもありました。なにせ地面を超えてプレートですから(笑)
西欧人の入植後、ネイティブアメリカンの歴史は悲惨を極めているのに、彼らが西洋の文明がやがて終わることを予見していたのも、当時は不思議に思っていました。白人の征服から二百年以上経っているのに、まだそんなことを信じられるのかと。
彼らは西洋の文明が長く続くものではないことをわかっていて、いずれ終わることを知っていた。そして実際にイーロン・マスクやジェフ・ベソスのような起業家が現れ、米国人は地球から離れ、宇宙へ行くことを本気で考えている。
それがいつ実現するのかわかりませんが、テラフォーミングの構想の登場が意外と早かったなと思うので、実現するのもそんなに先じゃないかもしれません。
本当に技術の進歩のスピードは、どんどん上がっているんですよね。
それはパソコンやUSBやSDカードの容量が数年で単位が変わるほど増えるのと同じです。
発明されるまでは長い時間を要するのに、一旦開発されると、恐ろしい速さで進んで行く。
だから本当に、地球の周りとか、宇宙空間で生活する人々が現れる時代がやって来るのも、そんなに先じゃないかもしれません。
その時、今の電脳生活が当たり前の私たちは、死を恐れて彼らと一緒に地球外へ飛び出して行くのでしょうか?もうそのようなレールが敷かれてしまっている気がします。
今は大富豪くらいしか宇宙には行けないですが、それは昔お金持ちしか車や飛行機に乗れなかったのと同じようなもので。
いずれ私たちの生活にも大きく影響して行くのかもしれません。
地球を離れる、宇宙へテラフォーミングするというアイディアを信じ、実現可能だと心底思えるのは、もう彼らが人間として、地球との繋がりが切れてしまっているのかなと思います。
もう大地から切り離されてしまっているのだと思います。
人類を救う使命にかられたスーパーマンのつもりかもしれませんが...
そういえば、この20年、アメコミ映画のマーベルがハリウッドを、世界を席巻していますが、内容は人種や性別を超えた人類のスーパーマン映画です。
何かそういう、人類が危機に瀕しているというメッセージ、そして地球脱出が正義のような思想やイメージが蔓延して、普及して行くのかもしれません。
そんな時きっと、ネイティブアメリカンが言っていた「なあに。ヤツらの文明は長く続かない」という言葉をまた思い出すのかもしれません。
地球は大きな卵子のようなもので、寿命が尽きて土に還ると、またそこから生まれ出でる。
動物も生物も親から子へと生命が循環して行きますが、それを可能にしているのは、生き物を、動物を生んだ地球の生命のシステムがあるからじゃないかと...
生き物は、肉体は、地上の幻影のようなものかもしれない。
ネイティブアメリカンの死の恐れなさは、そんな生命のサイクルを思い出させてくれます。
日本人の長寿の方たちに、死ぬのは怖くないかというインタビューを、テレビ番組で観たことがあります。
皆さん「別に怖くない」と言ってたのが印象的でした。
ご高齢ですがまだボケてもなく、普通に生活している人たちでしたが、「もう十分生きたから」という気持ちがあるようでした。
日本人とネイティブアメリカンは人種的にほとんど同じ。
似たような死生観がDNAにあるのかもしれません。
そういえば、ネイティブアメリカンは華やかな鳥の羽根を装飾に付けることで有名ですが、たくさんの羽根を身に着けて踊る姿は、まるで大きな鳥の擬態のようです。
鳥は恐竜でもあるのですが、大地と共に生きる彼らは、本能的にグラウンディングをしているのかもしれません。
まあ、私は鳥も恐竜も苦手なんですが
アメリカの広大な荒野の大空を駆ける鷲の雄々しい姿は、私たちが感じる鳥のイメージとは違うかもしれません。
レムリアが神話的世界観を形成する、それが聖書的世界観になるのは、現在の世界が西洋主導によって築かれているからだと思います。
たとえば神話的世界観を持つ超古代文明が、レムリアでなくムーでもいいと思いませんか?
日本人なら、昔はムー大陸の方がメジャーだったはず。
70年代には「ムー一族」というドラマがあったり、オカルト雑誌「ムー」が70年代末に発刊されています。
私もレムリアンという存在を知る前は、90年代頃まで、オカルト関係でムー大陸の方をよく聞いた覚えがあります。
「レムリア」というのは、レムリアンシードを知るまでは、本当に知らなかったですね...
どうも、ムー大陸はアトランティス時代に関連づけられているみたいですね。
90年代まではノストラダムスの大予言が本気で信じられていて、かなりオカルト色が濃い時代だったので、ムー大陸も結構有名だったのですよ。
でもレムリアンシードが現れ、それが世紀末に米国人によってレムリアの神話と紐づけられ、超古代文明の存在が実在の物質とリンクされた。まるで超古代文明の記憶が現代に蘇ったかのように...
そうなるともう、後はどんどんレムリアの神話が繰り広げられて行く。
ムーに勝ち目はない気がします(笑)
そしてレムリアの時代を思い出す人がたくさん現れる。
それが本当にレムリアの時代かわかりません。
でも水晶がレムリアと結び付けられたことで、古い時代の眠っていた記憶がどんどん呼び覚まされていったなら、レムリアだと人は思うでしょう。
ただ、私はその記憶自体は嘘ではないのだろうなと思います。
民族の違いで、神話の世界は変わって来ます。
洪水神話が世界各地にあるように、神話の世界観はそれぞれの民族が同じような物語を持っていたりします。
その記憶が本当にレムリアかどうかわからない。ムーかもしれないけども、一旦レムリアと水晶が結び付けられ、それによって思い出された記憶は、レムリアの記憶になって行く。
そしてそれは同じ神話の世界観を共有して行くことになると思うのです。
それは聖書の世界観を共有するようなもので、文化侵略とは言わないまでも、結果的にその世界観に従うことになり、主従関係が出来上がって来ます。
レムリアの世界観に取り込まれて行くこと、そのまま信じることは、キリスト教の布教と似たような面があると思います。石を愛でるのとは別の話ですが、心に留めて置くといいと思います。

本当なら、レムリアだけでなく他にも超古代文明に対する神話的世界観が他の民族にも、何なら私たち日本人にもあってもおかしくはないと思うのです。
例えば縄文の世界観のようなものが、私がレムリアに見ていた世界観と共通するものがないでしょうか?
ふくよかなレムリアンシードの母体のような形は、縄文の土偶を思わせます。
レムリアンシードに現れるレムリアンレッジや多種多様なグリフは、縄文土器の紐の文様や、にぎやかなデザインと似ている所がないでしょうか?
このように、世界観は別の文化のフィルターを通して解釈することも可能です。
聖書的価値観に捉われなくても、レムリアンシードの情報を受け取り、レムリアではない世界観を共有することも可能だと思うのです。
そこに私たちのルーツというか、本質を見てもいいんじゃないでしょうか。
そしてレムリアンシードが平成と共にあったことを考えると、なぜか日本の時代の変化とシンクロしていることを考えると、レムリアに縄文的な一致や繋がりがある可能性もあるのではないかと思います。
私が衝撃を受けたのはバイーア産のレムリアンなので、私はきっとレムリアに縄文的な親しみを感じてて、それがバイーア・レムリアンにあるんだと思います。
アトランティス文明ぐらいまでは、有史以来の人類の歴史に繋がりがある気がします。
アトランティス的な建造物や都市国家は、エジプトやヨーロッパなど大西洋に近い地域に見られますし、映画などを通して西洋人の集合的無意識に、よく現れているように思います。
ただ大西洋から一番遠く離れた日本には、タワマンのような一部の建築物や東京のような都市を除き、あまりアトランティス的なイメージがない気がします...
Stone marbleは、レムリアンの持つ豊饒さに魅かれて、そのイメージを元にレムリアンシードを送り出して来ました。
ピュアレイ、レムリアン・ルーツと呼ばれるバイーア産のレムリアンシードには、レムリアンが持つ子供のような無垢さ、鷹揚さ、ふくよかさ、豊かさのイメージがあると思います。
Stone marbleとして、私が石を選び送り出す時にいつも気を付けていること、テーマにしていることは、豊かさ。
手にした方々が少しでも精神的にも現実的にも豊かになるように、色とりどりの鉱物や光り輝く水晶を手に入れ、届けています。
形や色が奇妙だったり、きれいなだけじゃない石もたくさんあると思います。
でもそういう石の中にも美があり、考えさせてくれるものがあるんですよね。
鉱物は色彩の代表みたいなもので、本当に色とりどりの豊かさがあります。
色には優劣もなく、良し悪しもなく、全てが私たちの構成要素であり、光と影の中にあるものです。
人間は光と影があって初めて世界を認識出来る。
光だけだったら盲目なんですよ。
そしてすべての色が、光と影の中にある。
全ての色が私たちに恵みとして、エネルギーとして、与えられているもの。
全ての色が光と影のグラデーションの中にあり、光と陰で物体は浮かび上がり、私たちの目はそれを認識します。
絵を描いたことがある人なら誰にでもわかること。
この色は悪いとか、闇だとか決めつけるのは、それ自体がそのエネルギーの情報や恵みを受け取ることを拒絶させている。
拒否している。
とても危険なんですよね。
たとえば、黒、赤、黄色など、下半身のチャクラの色。
これらの色を悪者にして、グラウンディングが出来るでしょうか?
大地の恵みを、本当の豊かさを受け取れるでしょうか?
そして、各々の色に感情があります。
その色を否定してたら、その色の感情のコントロールを失うことになりませんか。
たとえば、怒りというのは生存本能です。
怒りは手放すのではなく、コントロールすることが大事で、手放してしまえば、命の危険に繋がります。
生殺与奪の権を他人に握らせることになります。
私は鉱物の色のように、すべてのチャクラの色を受け入れて、自分の心と体、魂の歴史、人間が人間であることを受け入れ肯定したい。
ミジンコのような微生物から、人の体が複雑な組織とメカニズムで生まれたように
地球にやって来た魂が鉱物から植物、動物へと宿ったように
きっと試行錯誤もあったろうけど(笑)
今もその過程にあるかもしれないけども
人の退化した機能も進化している機能も、全て人を守るために必要なもので
そんな人間が背負って来た歴史、人間が生まれた歴史を肯定したいんですよね。
それこそまさに神業だと思うから。
だから、一人一人の人間が、誰もが神であっていいと思うし、別にそれは完璧を意味しない。
ポンコツが多いけれども(笑)、それならポンコツを作ったクリエイターだって大分ポンコツなわけで(笑)
人も自然も地球も宇宙も、神秘に満ちていて、神そのものなのだから
人の創造性も生命力も、その神秘の中にある。
そういう意識を持っていたいと思うし、Stone marbleはそんなお店です。
日本人の私たちにとって、ニューエイジ思想やスピリチュアルは輸入文化として入って来ます。音楽や映画、芸術と同じように外来文化として吸収してしまう傾向があるんですね。
ところがキリスト教信仰が根強い現地では、ニューエイジやスピリチュアルは、時にカルトのように異端視されます。
聖書的世界観の洗脳に、日本人は免疫が全くない所があります。
また、八百神ではないですが、文化的にも鷹揚な所があります。
16世紀に宣教師が布教していた時代とは違って、外来物を有難がる時代に私たちは居て、元々の宗教観も強くないので、教養や学問の一つとしてとりあえず一旦受け入れてしまう。
水瓶座時代は、神智学のブラヴァツキーが提唱したものです。実際に2020年の終わりに、そのように取れる星の並びがありましたので、神智学にも何か真実があるのかもしれません(アマゾンの書評を見たら、本の中にアジア人蔑視があるらしく、無理でした)。
ただそこには西洋の世界観が宿命として持つ、一神教の破壊的な作用もある可能性も、心に留めて置いた方がよいと思います。
一神教がなぜ破壊的な作用を持つのか。
確かに始めは1から生まれたのかもしれない。
宇宙は0から生まれ、1から始まり10に拡大して行く。
一神教というのは、一神教の祖というのは、1でありすべての始まりかもしれないけど
私たちは10の方を向かないといけないと思うのですよ。
宇宙はどんどん拡大していると言います。
それは一粒の種から育ち、たくさんの実を付けて種子が広がって行くように
私たちが生まれていろんな出会いや経験で人生の豊かさを積み上げて行くように
子孫を残すことで、命が広がって行くように
豊かさは10に向かって増えて行く、広がって行くものなんですね。
一神教の破壊作用というのはその逆です。
唯一つの神を崇めることで、1の方へ、豊かさとは逆の方向へ減少して行く
一神教と多神教の違い、その包容力や多様性の違いがどちらにあるか明白です。
一神教的な世界観、視点は、それ自体が減少作用を起こし、エネルギーの枯渇を生むとしたら
信者という名のエネルギーヴァンパイアを増殖させるようなものです。
肥え太るのは教祖だけ。
全部が1に向かいますからね。
私たちはオウムの時代で知っているはずなんですけどね...
なんてことを映画「ミッドサマー」を観て思いましたよね。
白くキラキラした砂糖菓子のように甘く爽やかなイメージ。
結構あれはオウムと重なる部分が多いのですよ。
今でもオウムは信者を増やしていますから、10年20年経って、知らない世代に壺を売るようなことをスピリチュアルでもやっているのに驚きました。
私はショップを始めた当初、まだルースしか売ってなかったですが、効果・効能は薬事法違反になるので、表現には物凄く気を使いました。今でもそうです。
その結果自分の実際に体験したことを正直にお伝えする以外は、なるべく伝聞・伝承という形で、情報としてお伝えすることにしていますが、それでもスピリチュアルということで随分怪しまれたりもしました。
石の視覚情報にこだわって石の解説をしているのも、ネットショップという性質上、目に見えないパワーをすごいすごいと言ってお客様を引き付けるのはフェアではないと感じているからです。
それなのに、何の変哲もないビーズや原石を、エネルギーという名で売りつけているのを見てぶっ飛びましたよね。
オウムの件は、25年も経ってますから、二十代でももう知らないんですよね。
だから一応書いておいた方がいいかなと思います。
Stone marbleでもエネルギーという表現を使いますので、誤解のないよう、当店の立場を説明しておこうと思います。
「ミッドサマー」は明るい陽の光る太陽の下でも、自然豊かで清々しく神々しい雰囲気でも、洗脳や支配は行われるという警告なんですね。
というか教会とかはそういうイメージですしね。
どんなに言葉を変えても、プログラミングしました~、エナジャイズしました~、というのは立派な霊感商法です。
エネルギーという科学でも実態が完全に掴めないものを、商品として売るのは詐欺ではないですか?
エネルギーが永遠不変で変質しないものかどうかもわからない。
そうやって繋がれば、コンセントでコードを繋ぐようなもので、自立した思考が果たして出来るのでしょうか?
客観的な思考が出来るのでしょうか?
思考もエネルギーですよ。
温かい空気が冷たい所へ流れるように、水が高い所から低い所へ流れるように
エネルギーって原理的にはそういうものだと思っています。
水が溜まると淀むように、適度に循環させる。
循環している状態が一番の高エネルギー状態ですよね。
お金が回らなくなったら経済が停滞するように。
だから渦(marble)は、高エネルギー状態なのです(笑)
エネルギーはわからないことが多いのだから、どんなにスピリチュアルやエネルギーを追求しても、それ自体を売ることは御法度。超えてはいけない一線のはず。
自分でエネルギーを扱っているなら、尚更わかっているはずなんですよね。
知らない世代も増えているので言っておきますが、オウムの教祖は別に悪い人じゃなかったんですよ?
と言うと語弊がありますが、人の心を読めるというか、よく気づき共感する能力の高い人だったんです。
周囲の人にはいい人だったんですよ。
だから教団を作るほどの信者を集められ、支配することが出来た。
元々宗教を始めるような、宗教心のある人は、人たらしというか、善意から始める人がほとんどだと思います。
いい人なんですよ。
でもどんなにいい人でも、犯罪行為や詐欺行為を、自らの信仰や信念の下にやってしまうんですよ。
「ミッドサマー」のように、罪悪感もなく。
だから危険なのです。
そしてこの事件が大問題であるのは、何も犯罪性だけじゃないです。
多くの優秀な人でさえ、一人の人間によって簡単に支配され、動かされてしまう点です。
洗脳の力です。
その結果が犯罪であってもなくても、人間の思考力を奪う「教え」は、たとえどんなものでも、その人から自立性=魂の自由と創造性を奪い、退化させる。
だからたとえそれがヒーリングであっても、善意によるものでさえも、エネルギーや石の力で自らの力を信じさせる行為は、洗脳と変わらないのです。
キリストの奇跡じゃないですが、「奇跡」は人を信じ込ませるんですよね。
オウムも空中浮遊とか一生懸命やってましたが、「奇跡」は集団心理にスイッチを入れる一番手っ取り早い方法かもしれません。
冷静に考えれば、「奇跡」は「マジック」であることがほとんどです。
石は元々エネルギー体で力があります。
力があるから、いろんな産業を支え、文明の礎になっています。
石がすごいんであって、自分がすごいわけじゃないのに、石の力と自分を重ね合わせるのが、教祖心理というか教祖志向を感じるんですよね。
もちろん、そういう石を呼びよせたのはその人の力かもしれませんが、それでもすごいのは石ですから。
そこにエネルギーを調整するとか、石に対する冒涜にすら感じます。
一神教の世界観、西洋的価値観は、自然との対立も生み出します。
西洋的価値観では、自然とはコントロールし服従させるもの。それによって自然科学は発展して来ましたが、同時に様々な問題も抱えてしまっています。
温暖化が進み地球環境が悪化したならば、地球外へ出てしまおう、他の惑星に移住しよう。
いかにも西洋的な考え方だと思います。
スピリチュアルでも、今度は水星へと、同じことを言っているのが面白いなと思います。
モーゼのように出エジプトならぬ、出地球が、これからのトレンドなのでしょうね。
そしてきっと同じことを繰り返すのでしょう。
10の方を向かわなければいけないと、書いたけれども、そういえば十字架って十だよなあと思いました。
巧く出来てるなあと。
十字架は元々キリスト教のものではなく、ヨーロッパの原始宗教だったケルト人のケルト十字から採られています。
姉妹店OLD SCHOOL#では、以前ケルト十字のアクセサリーを扱っていました。

自然崇拝、太陽崇拝の象徴でもあった十字架が、磔にされたイエスの神話に重ね合わされた。
このエピソードもどこまで本当なのか、、、と思えて来ますね。
まるで、十字架をアイコンにするための物語のようです。
その土地その土地の土着の原始宗教を飲み込んで、キリスト教は生まれています。
大きな宗教や神話は、得てしてそのように誕生するのかもしれません。
一説には、キリストは実在していない、当時の複数のモデルが一つにまとめられたものとも言われています。
自然崇拝や太陽崇拝がいつの間にか教祖崇拝へすり替わる。
石にも同じことが言えると思うのです。
私は実際にオールドレムリアンの実物に接してないので、ここからは一神教の話にしますね。
日本は無宗教の国と思われていますが、実際の所は、神道や仏教が意識しない程に文化や慣習に浸透している国だと思います。
今でも皇室については絶対的な権力があって、タブーも多いですよね。
皇室に関しては、大人しい日本人も火が付いたように理性を失うのは、イスラム教にそっくりだなと思います。
男尊女卑や家父長制など、イスラムと共通点も多いのです。
平成は日本の一神教がかつてないほどに強くなった時代だと思います。
昭和は何だかんだ言っても戦争責任があったので、皇室の人気や存在感は、平成が戦後一番高かったと思います。
それなのに経済は衰退し、日本だけがどんどん世界の進歩から取り残されて来ました。皇室人気とは裏腹に、国民の力はどんどん弱くなっている。
日本はスピリチュアル大国ですよね。
精神文化に関心が強い人が多く、精神性の高い民族だと思います。
水晶や鉱物が他の国よりも人気が高く関心が強いのも、知性や精神性の高さの表れだと思います。
中国が共産主義によって何十年も張子の中に居た間、東洋の精神文化を担って来た所があります。
ですがこの二十年間、日本のスピリチュアルは正しかったのかなと疑問に思います。
暮らしや経済はどんどん堕ちて行くのに、「怒りを手放しなさい~」「よいものだけを見つめなさい~」と洗脳のようなヒーリングは、人々をより無力にしていないでしょうか。思考停止してないでしょうか。
中流が脱落し社会が構造変化を起こしていたのに「自分はうまく行ったのだからあなたもうまく行くはず」という言葉を投げかけて来たのは、随分酷だったと思います。
いよいよ自分の足元に水が迫って来て、自分も同じ船に乗っていたことにやっと気づいたのではないでしょうか。
このままではいつか暴動が起きると20年前から言われていますが、どんなに経済が悪くても、圧政を敷いても、民衆の抵抗や暴動が起きないのは、それが「お上の意思に反する」からで、政府のその先には天皇陛下が居る。だから、どんな悪政でも皇室が強く支持されている限り、日本人は「お上」に抵抗することも反抗することも出来ないんですよ。骨抜きにされてしまうのです。
実際に天皇制は象徴ですけれども、儀式として、総理大臣は天皇陛下によって任命されています。
昭和の時代は天皇の戦争責任はずっと叫ばれていましたから、政府や政治家に対する国民の目も相当厳しく、国民に力があった時代でした。
戦後、今ほど皇室や天皇制が正義になってる時代も、政治家の不正が大っぴらに許されている時代も、また国民が無力な時代もないと思います。
私は平成のレムリアンシードとはほぼ無縁に生きて来て、自分がショップで扱うために調べ始めたのですが、オールドレムリアンから、レムリアンシードのオリジナルとも言える水晶から男神のイメージが見えたことで、レムリア文明やレムリアンシードの伝説の正体のようなものを見た感じがしました。
これまでも言ってますが、宗教の時代は21世紀、水瓶座の時代に向けて終わりを告げつつあります。キリストは自分の教えは2000年で終わると予言していました。
キリスト教が廃れるというのは、聖書が読まれなくなり信じられなくなることで、西洋のキリスト教世界観による世界支配やスタンダードが根本から危うくなる、危機でもあるんですね。
二度の大戦後、東西の文明が交わり壁が崩れて行くことで、西洋世界で絶対的だったキリスト教信仰や世界観が揺らいで行きます。民主主義によって目覚めた大衆の創造性は、これまで西洋世界でキリスト教文化が担っていた芸術や娯楽を、神ではなく人に向けて発揮されて行きます(まあそれでも神に向けられていたりしますけどね)。
同時に新たな思想の拠り所として生まれたのが、60年代70年代にニューエイジであり、90年代以降のスピリチュアルだと思います。
私はオールドレムリアンに男神のイメージを見たことで、レムリアンシードのレムリア文明が、次の時代の世界の聖書的世界観の代わりになる、スタンダードになって行くのかなと思います。
聖書と似たような世界観がベースがあるんですよね。
キリストが実在したかどうか、聖書が事実かどうかはもはや大して重要でない、どうでもよくなっているように、レムリア文明が実在したかどうか、その歴史が事実がどうかどうでもいいのと同じです。
目的はそれが新たな世界観の礎になることが出来るということ。
まるで楽園のように素晴らしいレムリアの時代。
レムリアの時代をエデンの園ように信じ込ませることは可能です。
すでにスピリチュアルの世界では浸透していますからね。
オールドレムリアンの登場で、ラスボスではないですが、完了したのかなと思います。
本当かどうかわからなくても、広まってしまえば少しずつ神話化されて、後は聖書と区別がつかなくなります。
キリストの時代と違ってさらに古いですから。
もはや何とでも言えるというか...
以前レムリアの時代のイメージに、黒人奴隷のイメージが見えたのは、こういうことだったんだなと思います。
神は奴隷を生みますから。
レムリアとミレニアム
エネルギー的に当たり前なんですよね。
ものすごく尊い何かを崇めたら、その対極のものが生まれるのは。
悪魔を生んでいるのは天使。
そんなメッセージが21世紀に入ってから娯楽作品ではトレンドです。
キアヌ・リーブスの映画「コンスタンチン」にも描かれています。
平成の日本
皇室人気が高まり一神教的雰囲気が醸成されていた日本でも
外国人労働者という奴隷制度が生まれ、私たちはその犠牲の上で平然としています。
なぜなら国民の多くも、奴隷的な労働環境に居るからで
一歩国の外から見たら、あまり変わりないというか...
昔はなかったはずの階級も出来つつありますし。
戦後民主主義が築いて来たはずの物が失われつつあります。